2021年4月17日土曜日

「天皇守護組織が味方で、天皇が出てきてそれを救わなければならない」ゲームは前代未聞だと思う…

「日本や帝都を救うゲーム」ならば存在していたが…

何度も書いているが『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2)では、「超國家機関ヤタガラス」(以下ヤタガラス)という「天皇(このゲームでは大正天皇)を守り大日本帝国(というよりは「国体」)を霊的に守護する」組織が味方である。
「大日本帝国が舞台で、帝都や日本を救う」というゲームであれば『サクラ大戦』(セガ)や、日本軍を指揮する戦争シミュレーションゲームなどがすでに出ているだろう。だが、「天皇守護組織が味方で、ゲーム中に天皇が出てきて(シルエットだけだが)、さらに天皇を救わなければ進むことが出来ない」ゲームは、少なくとも「任天堂のファミコン以来、家庭用ゲーム機で公式に発売された国産ゲーム」の中では前代未聞なのかも知れない。
まあ、「帝都や大日本帝国を護るゲーム」は、ある意味どれも「天皇を護るゲーム」とも言えるのだけど。なぜなら、帝都や日本を救うのは結局「国体(天皇制国家)を救う」ことだし。

「天皇守護のヤタガラスを倒す話」ならさらに前代未聞だったのに…

『メガテン』シリーズは「神をも恐れぬ、タブー破りの得意なゲーム」であることは確かだ。ゲームに「天皇を守護する組織が味方の設定と、天皇を救う話を入れること」も一種の「タブー破り」だったように思う。だが私が見るに、これは「タブー破り」というよりはむしろ極めて保守的であり、「右翼には好かれるだろうが左翼・天皇嫌いには徹底的に抗議される」類いのものだ。それらならばいっそのこと「ヤタガラスを滅ぼして天皇制自体を終わらせる」話にした方がいい。右翼には抗議されるだろうが。
天皇制は身分差別制度なので、それを守護する組織が味方なのは「差別思想を助長する恐れのあるもの」であり、本来はゲームで使ってはいけないものではないのか?

2021年4月15日木曜日

1931年当時の日本人の精神性を現代人に押し付けることは出来ない

 第七話は「1931年当時の日本人と同じような精神性を持つ人」にしか向けられていないのは問題である

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)の第七話は、「『大正天皇(としか思えない)人物』を救えと『超國家機関ヤタガラス』(味方の組織)に命じられる。逆らうことが出来ない」という話である。これ自体、天皇制廃止論者などからは猛反発を食らうであろうシナリオなのだが、さらに問題なのは「この話は、1931年(ゲームの舞台)の日本人と同じような精神性を持つ人にしか共感されない」ことだ。
確かに、1931年当時の日本人の多くは「天皇は神であり、天皇を頂く日本はアジアで一番偉い」、「天皇のために働くことは素晴らしい、お国の為だ」、「軍人は天皇のために戦って死ぬのが名誉」といった精神性を持っていたのは事実だろう(ただし、そのような精神性を持たない者も、天皇制反対者も確実に存在したのだが)。だが、それはあくまでも「1931年に生きていた人間」のことであり、このゲームをプレイするのは「2006年(この『超力兵団』が発売された年)以降に生きる人間」である。それを考えずに「天皇を救わなければいけない」話を入れることは時代錯誤としか思えない。

天皇嫌いの人にまで「1931年当時の日本人らしく振る舞うこと」を強制することはある種の「思想差別」

さらに言うと、第七話自体「これが物凄く不愉快だと感じる人は、ここでこのゲームを放棄して欲しい」とでも言っているようなものだ。つまり「1931年当時の多くの日本人と同じような振る舞いが出来ない人にはクリア不可能」なのだ。これは『メガテン』という、様々な思想を持つプレイヤーの居るゲームとしては問題であるし、一種の「思想差別」とも言える。それに日本には、在日韓国人や在日中国人も住んでいるのだし。
いくら、『超力兵団』の舞台が戦前の日本であろうとも、それをプレイするのはあくまでも「現代人」であることを忘れてはいけない。現代人は、「『天皇は現人神だ、天皇を頂く日本は一番偉い』などと言う思想こそが、日本を侵略戦争に走らせ、後に『大日本帝国』を滅ぼすことになった原因の一つ」であることを知っているのだから。

2021年4月1日木曜日

製作者は「天皇守護組織を味方とすること」を特別問題視していないように思える

「超國家機関ヤタガラス」は間違いなく「天皇守護組織」である

以前より繰り返し書いているように、『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(アトラス。プレイステーション2。以下『超力兵団』)に登場する味方の組織「超國家機関ヤタガラス」(以下ヤタガラス)とは「大正天皇を守護する組織」である。『超力兵団』の第七話を見れば分かる。たとえ「天皇」、「陛下」とは出てこなくとも、「日本において重要な御方を救え、救わないと許さん」とヤタガラスに命じられることを考えれば理解出来るはずだ(このゲームの舞台は架空の1931年の日本だが、なぜか元号は「大正20年」とされている)。

製作者は「『ヤタガラスが味方であること』を特に問題視しなかった」としか思えない…

このゲームの設定とストーリーは、「天皇家が日本を守護している」ような幻想を好む右翼には好かれるのかも知れない。だが、実際のところは「天皇制は身分差別制度であり、さらに大日本帝国時代においては、隣国に対する侵略戦争と植民地支配の元凶ともなった制度でもある」わけだから、天皇守護組織・ヤタガラスを味方とするのは「差別を受け入れ、日本の悪い歴史を美化する」ものであり、非常に問題がある。特に天皇制廃止論者には徹底的に嫌われるだろう。
だが、製作者は「天皇守護組織が味方であることの何が問題なのか?」としか思わなかったのかも知れない。つまり、「天皇(特に昭和天皇)には戦争責任や植民地問題の責任がある」、「天皇制は差別制度である」とは微塵も思っていない…、だからこの『超力兵団』を出しても問題無いだろうと判断した…とも考えられる。
しかし、「日本の戦争や植民地支配を美化するような歴史修正(改竄)主義思想が、一般にも蔓延ってしまっている」今の日本では、このようなゲームはその傾向をさらに強める危険性があるため、復刻すべきでは無いだろう。