「日本や帝都を救うゲーム」ならば存在していたが…
何度も書いているが『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2)では、「超國家機関ヤタガラス」(以下ヤタガラス)という「天皇(このゲームでは大正天皇)を守り大日本帝国(というよりは「国体」)を霊的に守護する」組織が味方である。
「大日本帝国が舞台で、帝都や日本を救う」というゲームであれば『サクラ大戦』(セガ)や、日本軍を指揮する戦争シミュレーションゲームなどがすでに出ているだろう。だが、「天皇守護組織が味方で、ゲーム中に天皇が出てきて(シルエットだけだが)、さらに天皇を救わなければ進むことが出来ない」ゲームは、少なくとも「任天堂のファミコン以来、家庭用ゲーム機で公式に発売された国産ゲーム」の中では前代未聞なのかも知れない。
まあ、「帝都や大日本帝国を護るゲーム」は、ある意味どれも「天皇を護るゲーム」とも言えるのだけど。なぜなら、帝都や日本を救うのは結局「国体(天皇制国家)を救う」ことだし。
「天皇守護のヤタガラスを倒す話」ならさらに前代未聞だったのに…
『メガテン』シリーズは「神をも恐れぬ、タブー破りの得意なゲーム」であることは確かだ。ゲームに「天皇を守護する組織が味方の設定と、天皇を救う話を入れること」も一種の「タブー破り」だったように思う。だが私が見るに、これは「タブー破り」というよりはむしろ極めて保守的であり、「右翼には好かれるだろうが左翼・天皇嫌いには徹底的に抗議される」類いのものだ。それらならばいっそのこと「ヤタガラスを滅ぼして天皇制自体を終わらせる」話にした方がいい。右翼には抗議されるだろうが。
天皇制は身分差別制度なので、それを守護する組織が味方なのは「差別思想を助長する恐れのあるもの」であり、本来はゲームで使ってはいけないものではないのか?