2021年4月15日木曜日

1931年当時の日本人の精神性を現代人に押し付けることは出来ない

 第七話は「1931年当時の日本人と同じような精神性を持つ人」にしか向けられていないのは問題である

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)の第七話は、「『大正天皇(としか思えない)人物』を救えと『超國家機関ヤタガラス』(味方の組織)に命じられる。逆らうことが出来ない」という話である。これ自体、天皇制廃止論者などからは猛反発を食らうであろうシナリオなのだが、さらに問題なのは「この話は、1931年(ゲームの舞台)の日本人と同じような精神性を持つ人にしか共感されない」ことだ。
確かに、1931年当時の日本人の多くは「天皇は神であり、天皇を頂く日本はアジアで一番偉い」、「天皇のために働くことは素晴らしい、お国の為だ」、「軍人は天皇のために戦って死ぬのが名誉」といった精神性を持っていたのは事実だろう(ただし、そのような精神性を持たない者も、天皇制反対者も確実に存在したのだが)。だが、それはあくまでも「1931年に生きていた人間」のことであり、このゲームをプレイするのは「2006年(この『超力兵団』が発売された年)以降に生きる人間」である。それを考えずに「天皇を救わなければいけない」話を入れることは時代錯誤としか思えない。

天皇嫌いの人にまで「1931年当時の日本人らしく振る舞うこと」を強制することはある種の「思想差別」

さらに言うと、第七話自体「これが物凄く不愉快だと感じる人は、ここでこのゲームを放棄して欲しい」とでも言っているようなものだ。つまり「1931年当時の多くの日本人と同じような振る舞いが出来ない人にはクリア不可能」なのだ。これは『メガテン』という、様々な思想を持つプレイヤーの居るゲームとしては問題であるし、一種の「思想差別」とも言える。それに日本には、在日韓国人や在日中国人も住んでいるのだし。
いくら、『超力兵団』の舞台が戦前の日本であろうとも、それをプレイするのはあくまでも「現代人」であることを忘れてはいけない。現代人は、「『天皇は現人神だ、天皇を頂く日本は一番偉い』などと言う思想こそが、日本を侵略戦争に走らせ、後に『大日本帝国』を滅ぼすことになった原因の一つ」であることを知っているのだから。