2021年4月25日日曜日

「昭和天皇でなければいいだろう」とは言い難い…

「大正天皇を救う話」のどこが問題か?

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)の第七話は、「味方の組織・超國家機関ヤタガラス(天皇を守護し日本を護る組織であり、国家神道に似ている)の命令で、敵に呪いをかけられた大正天皇(としか考えられない人物)を救わなければクリア出来ない話」である。

この話の問題は、「天皇制を嫌う人からは猛反発を食らうこと」「差別制度である天皇制を称賛したり、天皇の名の下で行われる侵略戦争、植民地支配を美化するものであること」など、多数ある。

この『超力兵団』の舞台は1931年の日本(あくまでも架空のもの)であるが、元号が架空の「大正20年」となっていることには注目して欲しい(現実なら昭和6年)。つまり、もしも現実と同じ元号であれば第七話は「昭和天皇を呪いから救う話」になるのだが、なぜあえて架空の元号を用いてまで、昭和天皇を救う話にしなかったのか?

実在の大正天皇は病弱であったので、「呪いによって病弱になったのだ」、という解釈を用いるためなのかも知れない。だが、もう一つ重要な意味があると思う。それは「舞台を昭和6年の日本にして、昭和天皇を救う話にすると、『昭和天皇は戦争犯罪者である』と考える人から批判される可能性があるので、それを怖れたために大正天皇にした」のではないだろうか。実際、私も「昭和天皇は戦争責任を取るべきであった」と考える立場である。


大正天皇は戦犯じゃないからいいだろうって? それは通用しないんだよ

だからといって、「第七話は戦犯ではない(と言っても「第一次世界大戦」に参戦した責任はあるが)大正天皇を救う話なのだから、昭和天皇を救う話よりはマシ」とも言えない。なぜなら、大正天皇には「植民地支配責任」があるからだ。
大正天皇の父である明治天皇の時代から、日本は韓国(朝鮮)と台湾を植民地支配していた。それは大正時代になってもまだ続いており、1945年まで続いた。
そう考えると、第七話は「天皇の名の下で行われていた植民地支配を正当化・美化・称賛するシナリオ」に他ならないではないか? このゲーム上では植民地支配は描かれないが、確実に起きているだろうし。
製作者は「そんなシナリオではない」と言うのだろうが、大正天皇は「植民地を手放したことは無い」以上、どうしてもそのように解釈せざるを得ない。
ネット右翼たちはこぞって「日本が他の国を植民地にしたのは実はいいことだった、本当は明るい時代だった」と歴史修正を試みるが、そのように歴史を日本にだけ都合良く捻じ曲げることは許されない。