2021年8月29日日曜日

そもそも「呪いにかかっている」のであればさっさと祓えば済む話なのだが、なぜライドウにその呪いを負わせるのか? やはりヤタガラスの思想は教育勅語と同じく「天皇は神だから、臣民はその身を犠牲にしてでも護らねばならない」だろう?

第七話は何度思い返しても胸糞悪い話だ…


訳あって『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団(Devil Summoner: Raidou Kuzunoha vs.the Soulless Army)』(プレイステーション2。以下『超力兵団(Soulless Army)』)の第七話について改めて調査しているのだが、何度思い出してもあれは吐き気がするほど胸糞悪い話であり、私は絶対に許すことは出来ない。
これは何度でも言うが「敵に呪われた『大正天皇』(ゲーム上では「海軍と日本國にとって重要な御方」とぼかしているが間違いなく天皇だ)を命がけで救えと『超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)』に命じられる」話だ。逆に言うとこれは「右翼に喜ばれる話」なのも嫌なんだよ。
もう一度第七話でヤタガラスの使者が言うセリフを調べてみると、「呪いは祓えば治まる」みたいなことを言っているのに気付いた。それならさっさと呪いを祓えば終わる話なのに、なぜ「主人公のライドウがその身に呪いを引き受けて術者を倒しに行かなければならない」のか?

やはり「天皇は現人神だ」と思っているからだろう?

これは、表向きには「天皇の身に降りかかった呪いをその身に引き受けることで呪いの元を追い、呪いをかけた術者を捜し出すため」と言われるのだが、本当の理由は「天皇は神で、日本にとって重要な御方だから、その身を犠牲にしてでもお救いしなければならない」と主張するためだろう。
そもそもヤタガラスのモデルは「天皇を現人神として崇拝させた国教・国家神道」としか思えない。だから、ヤタガラスの思想もまた国家神道と似たようなものであり、国家神道から生まれた「教育勅語」とも似通っているのであろう。教育勅語の教えには「臣民は、日本に危機が迫ったらその身を捧げて国家と天皇・皇室を護りなさい」というものが含まれている。どう考えても第七話のシナリオにそっくりである。
第七話をこのような「ライドウが呪いを引き受け、身を犠牲にしてでもその『日本國にとって重要な御方』を救う」話にしてしまった以上、「あの『御方』は大正天皇以外の何者でも無い」と確定しているのだから、もはや「あれは天皇では無い」という言い逃れは出来ない。私はこのような「天皇家を神聖なものとし、大正天皇を救うために身を犠牲にすることを称賛する右翼ゲーム」としか思えない、この『超力兵団(Soulless Army)』の復刻には一切反対するし、『ライドウ(Raidou)』シリーズ自体の復活にも反対する。