2021年8月1日日曜日

このゲームは「権力に歯向かう話」だとはとても思えない。天皇という絶対権力を守護する組織に仕えている時点で…

「軍人に立ち向かうから反権力的な話」とは言えないだろう…

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団(Devil Summoner: Raidou Kuzunoha vs. the Soulless Army)』(プレイステーション2。以下『超力兵団(Soulless Army)』)では、旧日本陸軍の軍人・宗像(Munakata)を敵にする話がある。しかし、ここだけを切り取って「これは『軍という絶対権力に立ち向かう反権力的なゲーム』である」とは言えない。
まず、主人公のライドウ(Raidou)の設定が「日本海軍の大元帥(史実では陸海軍大元帥だがここではなぜかこうなっている)・大正天皇(Emperor Taisho)を守護している組織『超國家機関ヤタガラス』(以下ヤタガラス)に仕えている」となっている時点で、ライドウもまた「絶対権力に従う側」であるからだ。このゲームの話は「絶対権力同士の対立」を描いたものというのならば納得は出来る。

そもそも今の天皇制と旧天皇制の区別が付いているのかどうか…?

『超力兵団(Soulless Army)』の時代、1931年の日本(ゲーム上では「大正二十年」、史実では「昭和六年」)では「大日本帝国憲法(the Constitution of the Empire of Japan/Meiji Constitution)」が敷かれており、天皇は権力を持っていた。今の時代だと「日本国憲法(The Constitution of Japan)」が敷かれていて(バカウヨどもが「アメリカの押し付け」とか言って無くそうとしているが決して無くしてはならないものだ)、天皇も単なる「象徴天皇(Symbolic emperor)」に過ぎず、権力は持たないし、政治に関わってはいけないことになっている。
これは私の憶測ではあるが、このゲームの製作者は『超力兵団(Soulless Army)』を「権力に立ち向かう主人公を描くために作った」のだと仮定すると、「もしかして、大日本帝国時代の旧天皇制(Old Emperor System)と、現在の象徴天皇制(Symbolic emperor system)の区別が付いていないのでは…?」と思ってしまう。まあ、ゲーム上での天皇は「海軍の重要人物」と設定しているので、「天皇は軍の大将であった」事実は知っているのだろうけど…。なぜ「海軍のみにしたのか」は気になっているが、私は「陸軍軍人に対抗する話があるから」説と「陸軍の悪行はヤタガラスの責任では無いことにするため」説を唱えておく。
もし「旧天皇制と象徴天皇制は同じようなもの」と思っていた場合、「天皇を守護する組織に仕えていると言っても絶対権力持ちでは無いので、絶対権力の陸軍軍人に立ち向かう話は反権力的だろう」とでも考えたのではないか?
いや、本当に「絶対権力に立ち向かう話」を作るのであれば、「天皇という絶対権力を護っているヤタガラスを滅ぼしに行く」話でなければならない。天皇に仕える主人公が軍人を倒す話は決して「反権力的な話」では無いのだ。