2021年3月14日日曜日

「『国家神道』をモデルとする組織が味方であること」がなぜ許せないのか?

ヤタガラスは間違いなく「国家神道」がモデルである

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(アトラス。プレイステーション2。以下『超力兵団』)に登場する組織「超國家機関ヤタガラス」(以下ヤタガラス)は、大正天皇を守護する組織であり、主人公・ライドウの味方をしている。
このヤタガラスのモデルとなっているのは、明らかにかつて存在した国教「国家神道」である。『超力兵団』の第七話は「敵の策略で危機に陥った大正天皇(とは呼ばれていないが、「日本にとって重要な御方」と言われるので間違いなく天皇である)を救え」とヤタガラスに命じられる話なのだが、「それに逆らうことは許されない」ことから見れば理解出来るだろう。
「国家神道」及びそこから派生した「教育勅語」の教えでは、「天皇は神の子孫で、神聖なものであり、国家の危機の時は国体(天皇制国家)を命がけで護れ」となっている。第七話はまさにこの教えを再現したものと言える。

「国家神道がモデルの組織を味方にする」のは、戦争と植民地支配を正当化する意味合いがあるから…

では、ヤタガラスを味方にすることにはどのような意味があるか。それは「天皇は神の子孫で、神聖なもの。そして天皇を頂く日本はアジアで一番偉い国」という神話を実話とし、「軍の大元帥であった天皇が起こした近代の戦争や、天皇の名の下に行われたアジアの植民地支配を正当化する」意味合いがあるとしか思えない。
私は、たとえゲームであろうとも「天皇と日本が引き起こした戦争と植民地支配の正当化」は絶対に許せない。だからこそ、ヤタガラスを味方とするこのゲームには非常に重大な問題がある、と繰り返し言っているのだ。このような重大な問題のあるゲームを、今の世の中に復活させて欲しくはない。

2021年3月10日水曜日

ヤタガラスが味方なのは、要するに「権力側に付き従い、歯向かう者たちを弾圧する」ことだから…

超國家機関ヤタガラスが味方であることの問題点

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(アトラス。プレイステーション2)では「超國家機関ヤタガラス」(以下ヤタガラス)という「天皇を守護し、日本を霊的な力で支配する組織」が主人公・ライドウの味方である。この設定の問題は多数あるが、今回取り上げるのは「権力に付き従うこと」の問題。


結局のところ「権力者に付き従うことを良しとしている」話だから

ヤタガラスが味方ということは、必然的に「強い権力者側」に付き従うことを意味する。ヤタガラスに従い戦うのは、結局のところ「権力に従わない者たちを弾圧する」ことになってしまう。一見するとこのゲームのシナリオは「帝都を崩壊させようとする、強くて悪い奴らを倒す」話のようだが、実際のところは「敵よりももっと強い権力と力を持つヤタガラスの命令に従い、絶対権力に歯向かう者たちを弾圧している」のである。これこそが「ヤタガラスが味方であること」が問題である理由の一つ。それこそ、かつてのドイツで例えるなら「ナチスの味方をしている」のと同じことだ。


2021年1月7日木曜日

なぜ「天皇守護組織を味方にすること」が許せないのか

天皇守護組織を味方とするゲームがなぜ許せないか?

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(アトラス。プレイステーション2。以下『超力兵団』)は、「架空の1931年の大日本帝国(史実では昭和6年だがゲームでは架空の「大正20年」)を舞台とし、天皇を守護する組織・超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)を味方として、大正天皇と国体(天皇制国家)を危機から救うゲーム」である。私は、フィクションであろうとも「戦前の日本が舞台で、天皇守護組織(天皇崇拝組織とも言える)を味方とし、さらに日本を救う内容のこの作品」は絶対に許しがたい。「所詮フィクションなら、どんな設定でもいい」とは言えない。今回はその理由について。

天皇制は差別制度だから、それを守護するのは…

天皇制とは「天皇と皇族は高貴な身分、それ以外は平民」とする「身分差別制度」であり、また女性差別、障害者差別なども含まれる制度だ。この制度を維持するためにヤタガラスは存在しているのだから、ヤタガラスとは「様々な差別を良しとする」組織であることは間違いないだろう。表面的にはそんな風には見えなくても。
私は、別に「反天皇制活動家」ではないし、そういった活動家らを支援する者でも無いが、「差別制度の天皇制は、将来的には廃止して構わない。もし後継者が居なくなって滅びるならばそれでいいのだ」という考えである。
そういう考えの私から見れば、『超力兵団』の設定とシナリオには憤りを覚えるのだ。この際だから、私の本音をはっきりと言ってしまおう。
「天皇が神だった頃の日本が舞台で、天皇崇拝組織・ヤタガラスを味方にして、天皇と国体を救うゲームだと? しかもよりによって、日本を創ったとされるイザナキ・イザナミと、皇祖神とされるアマテラスさえも実在したことになってしまう『メガテン』で? ふざけるな! たとえゲームであっても、差別制度を支える組織を味方にして、『天皇の名の下に』侵略戦争と植民地支配を繰り返していた時代の日本を救うという内容は許しがたい! 天皇家、及び日本の戦争と植民地主義を美化したいからこういう内容にしたのだろう?」
これこそが、この『超力兵団』が抱える最大の難点である。

この『超力兵団』を今の時代に復活させてはならない

昨年『真・女神転生3ノクターン HDリマスター』(アトラス。PS4他)が発売されて、今後も「アトラス作品の復刻などを予定している」などと言われているが、私は『超力兵団』及び続編の復刻、『ライドウ』シリーズの再始動には絶対に反対の立場を取る。『メガテン』シリーズは大好きだし、『超力兵団』の主人公・ライドウのことは好きなのだが…。その理由について説明する。
今の日本は「右傾化」が進み、「歴史修正主義」(私は「歴史改竄主義」と呼ぶ方が正しいと思うが)と呼ばれる現象が、右翼やネット右翼のみならず一般層にまで浸透している。日本における「歴史修正主義」とは、簡単に言うと「日本の戦争や植民地支配を良いものとして描き、731部隊は無かった、南京大虐殺は無かった、日本軍『慰安婦』は居なかった、日本軍が戦ってくれて他の国は感謝している、植民地支配は実は良かった、などと『日本にだけ都合良く歴史を改竄する』こと」である。右翼が「歴史修正主義を浸透させたい」と思うのは、恐らく「天皇が好きだから、天皇が引き起こして指揮した侵略戦争を正しいものとしたい」とか、「憲法を変えて戦争をしたい(そのために「戦争はカッコいいもの」として描き出そうとする)」からなのだろう。
そしてもうひとつ、今の日本では「嫌韓」と呼ばれる「韓国と韓国人、在日韓国人を悪者扱いする」現象も一般にまで広まってしまった(さらに中国を敵視する、いわゆる「反中」思想も広まっている)。ネット右翼は「歴史を捏造しているのは韓国の方だ」と思いたいのだろう(実際に歴史を捏造しているのは日本の右翼だが)。さらに、ネット右翼によるヘイトスピーチも繰り返されている。
このような時代に、『超力兵団』のようなゲームを再び世に送り出すのが相応しいと言えるか? 私は絶対に相応しくないと思う。もしも復活が発表されるならば、私は絶対に抗議する。
「アトラス様とセガ様は、このゲームが抱えている問題点や、若者への影響力の大きさを考えたことがあるのですか?」
今の日本でこの『超力兵団』及び『ライドウ』シリーズを再び世に出すことは、「日本の右傾化や歴史修正主義、嫌韓に加担するようなものだし、右翼とネット右翼を喜ばせるようなもの(逆に「左派や天皇嫌いの人、韓国人や中国人には徹底して嫌われる」のだが)」だ。たとえゲーム自体はマイナーだとしても、プレイヤーへの影響力の大きさを考えるならば、「復活希望は多いとしても、これを復活させるのはブランドイメージに傷がつくから、止めておこう」と考える方が普通だと思う。