2021年5月27日木曜日

このゲームの製作者は自分たちが「侵略した側の子孫である」ことを認識出来ていない

実に興味深いセリフ

『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)は、架空の1931年の大日本帝国が舞台であり(元号は架空の「大正20年」であるが)、基本的なストーリーは「天皇崇拝組織・超國家機関ヤタガラスの命令で、天皇(ここでは大正天皇)にまつろわない者たちを倒して帝都(大日本帝国の中心)を守護する」ことだ。
このゲームの第八話と第拾話(第十話)には興味深いセリフがいくつかある。

第八話の宗像のセリフについて

このゲームの登場人物の一人「宗像」とは、主人公のライドウと敵対する陸軍軍人である。『超力兵団』の第八話は、「和電イ号基」という鉄塔に潜入して宗像に会うのが目的の話だ。宗像に会うと、このようなセリフを言う(一部句読点を足し、難しい漢字には読み仮名を付けたが、基本は原文ママ。以下のゲーム中のセリフは全て同じ)。

宗像「やはり来たか、葛葉ライドウ。海軍…いや国家に利用されし愚かなデビルサマナー。
ライドウよ、お前は知りながら従っているのか? ヤタガラス…、いや、この国家が我らに行なった行為を…。
かつて…、そう遥か古の時代、天より降り立ったという者がいた。その者は己こそ大和の地の支配者と呼び、その地に住む民を征服し始めた。頭を垂れる者を従え…、反抗する者を討ち果たし…、大地を血で染めて作り上げたのがこの日本という国なのだ。
従う事を良しとせず、戦いに敗れた民は、様々な蔑称で呼ばれながら生き続けた。鬼とも土グモとも呼ばれ、大和の民とは認められずにいた…。…そういった国家に殺されし者。伏(まつ)ろわずに消えた民の怨嗟(えんさ)の声が、私を動かしているのだ!(後略)」

第拾話のスクナヒコナのセリフについて

『超力兵団』の第拾話は、ライドウの仲間である探偵の男「鳴海」を救出するために「陸軍地下造船所」へ向かう話。鳴海を救出し最下層へ行くと、宗像と再会する。ちなみに鳴海は元は陸軍に居た男で、宗像のことは知っているらしい。最下層での鳴海とのやりとりの一部を紹介。

鳴海「…超力兵団計画。その名を聞いた時から気になっていたんだ。
宗像さん…、やはり貴方の仕業か」
宗像「…デビルサマナー 葛葉ライドウ。やはり我らが前に立ち塞がる気か」
鳴海「宗像さん…、答えてくれ。俺は、かつてのあんたを知っている。
国を強くする意志を持っていたが…、民を犠牲にする考えは無かったはず!
何故、今! こんな計画を!!」
宗像「…そは古き時代よりの復讐。天津の一族を滅ぼす事が我が悲願」
鳴海「…な、何?」
宗像「帝都に住む人間の事などどうでもよいと言ったのだ。我らが悲願…、我らが願い…、血と汚名を背負い倒れた幾多(いくた)の同胞の無念の声が…、…我を突き動かすのだ! 愚かな人間を死滅させよと!」

その後のイベントで、彼の肉体と精神は実は「スクナヒコナ」という国津神に乗っ取られていたことが判明する。正体を現したスクナヒコナと鳴海との会話の一部を紹介する。

スクナヒコナ「帝都百万の民の死滅…、それが超力超神に与えし命。全ての民が罪を噛締(かみし)めながら、悶え、そして死ぬのだ!」
鳴海「…馬鹿な、何千年もの昔の恨みなんて、今の俺たちには関係ねぇだろ!」
スクナヒコナ「ヤツらの末裔である事…、産まれ落ちた事が罪なのだ!」
鳴海「そんなムチャな…」
スクナヒコナ「貴様らにはわかるまい。虐(しいた)げられし者の心なぞ…。帝都破壊の前に、貴様らを血祭りに上げてくれる!」

ここで鳴海が「…馬鹿な、何千年もの昔の恨みなんて、今の俺たちには関係ねぇだろ!」と言うのだが、これの問題点は『シリーズ 「超國家機関ヤタガラス」はなぜ怖ろしいのか? ・第八回目「『第拾話・帝都炎上!』に見る歴史認識問題・戦後責任問題・歴史修正(改竄)主義」』にも書いた。
だが、最近になってこのセリフにはさらに問題があると気が付いた。今回はそれがテーマ。

鳴海のセリフは「侵略者の子孫であることを忘れた製作者」の独りよがりな独白だと思える

宗像とスクナヒコナのセリフは、このゲーム上での設定では『古事記』に出てくる架空人物「神武天皇」によって侵略され、大和を追われた国津神の恨みの言葉なのだが、それをこのゲームの時代背景で言われると「日本の侵略により日本化された琉球と蝦夷、そして日本の植民地にされた韓国や台湾の人々」の恨みの言葉にしか見えない。
ライドウや鳴海は、スクナヒコナなどの国津神から見れば「侵略した側の子孫」ということになるが、鳴海はそのことに無自覚だからこそ「…馬鹿な、何千年もの昔の恨みなんて、今の俺たちには関係ねぇだろ!」と突っぱねてしまえるのだ。
このゲームの製作者側も「自分たちは琉球、蝦夷、韓国、台湾、中国などを侵略した側の子孫」であることに無自覚だからこそ、このようなセリフが書けるのだと思う。そして、自分が「侵略者の子孫」だと思っていないからこそ、「日本を破壊しようとする侵略者(天皇にまつろわぬ者たち)から帝都を護る」という、まるで「日本が侵略の被害者」であるかのようなストーリーが作れるのだろう。
そう考えると、右翼による歴史修正主義が蔓延した今の時代には、このようなゲームはやはり復活させるべきではない。もしもこのゲームを作り直すとすれば、そのような「我々日本人は侵略などしていない、むしろ侵略された被害者だ」などという、歴史修正主義的な思想から抜け出すべきだ。

参照ゲームソフト

  • デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団(プレイステーション2/発売元・アトラス)

参考文献

  • デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団 超公式ふぁんぶっく(ファミ通編集部責任編集/エンターブレイン)
  • デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団 超公式完全本(ファミ通編集部責任編集/エンターブレイン)

2021年5月20日木曜日

ここまで露骨な「天皇崇拝称賛ゲーム」は前代未聞であろう

はっきり言って 『超力兵団』は「天皇崇拝称賛ゲーム」である

何度でも書くが『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』(プレイステーション2。以下『超力兵団』)は、「大正天皇を守護する組織・超國家機関ヤタガラス(以下ヤタガラス)」が味方」であり、「ヤタガラスの命令で大正天皇を救わなければならない」話もあるゲームだ。
まず、この設定とストーリーだけでももう「このゲームは天皇崇拝を称賛するような内容だ」「天皇家を神聖なもの、守護すべきものと描いている内容だ」と気が付くのではないだろうか。

ここまで露骨に天皇家を賛美するようなゲームは恐らく今まで無かったであろう

以前も書いたように、家庭用ゲーム機で正式に日本で発売されたゲームで「戦前または戦中の大日本帝国が舞台で、日本を救うのが目的のゲーム」であれば『超力兵団』以前にも既に存在していただろう。だがその手のゲームでさえ恐らく「天皇家称賛、天皇崇拝称賛」的な描写は避けていたのではないだろうか。それは恐らく「大日本帝国は天皇を崇拝したせいで戦争を招き、滅びてしまったから」、「昭和天皇は戦犯だと主張する人も居るから」、「天皇制は身分差別制度のため称賛出来ないから」、「天皇嫌いの人もプレイする可能性があるから」、「かつて日本に攻め込まれた中韓などから問題視されやすいから」といった理由で避けられてきたのだと思う。しかしこの『超力兵団』では今までは避けられてきたであろうその「天皇家称賛、天皇崇拝称賛」を露骨に表現したゲームである。

なぜ天皇賛美描写を入れたのか?

なぜこの『超力兵団』に「天皇崇拝を賛美するかのような描写」を入れたのか? はっきり言うと、このゲームのストーリーはそんな描写が無くとも成立するものである。憶測だが、「製作者の中に天皇崇拝者、戦前美化論者が居る」可能性があると思う。
書店に置いてある本の中には、「天皇家を称賛するようなもの」も結構あるのは事実である。ただ、それらは「天皇家が好きな人しか手に取らない本」であるから、それは別に構わないと考えている。だがこのゲームは「天皇好きだけがプレイするもの」では無い。メガテニストの中には天皇制を嫌う者も確実に居ると分かっていながら(少なくとも私はそうだ)、「天皇家や天皇崇拝を称賛する内容」にしてしまったことは大問題である。
私は、天皇崇拝を賛美する『超力兵団』及び続編の復刻には大反対する。ライドウは好きだけど!